ミオはこれまで、多くの本に触れる機会がなかった事に気づかされていた。

村にいた頃は、教会か、買い付けに行っていた商人が仕入れるか、旅回りの商隊が扱っているかどうか、という程度。

それも、勉強の本を除けば絵本や童話が主だったのだ。

だから今こうして、裁縫に関する専門的な事が書かれた書籍を目にして、父の言動から教わるのではなく文字という情報を読み込む事で自分の知識となっていく体験は新鮮で、いつしかそれに没頭していた。

ミオ自身の意識さえもそこにはなかっただろう。

「悪い、遅くなった」

という外部の雑音すらも届いていなかった。

「おい、そんなに暗いところで読めてるのか?」

それがミカの言葉だと認識することもなく、暗い、という言葉に不意に気が散ったのを感じた。

暗い、ああそういえばなんだか暗い気がする、そうか、こんなに暗いのは陽が陰ってきているのか。

そう感じるのと同じ速度で意識は本の中から浮上し、そこにあるものを目がとらえ、薄暗い影の中で唐突に、「字が見えにくいな」と思った。

今まで何の苦も無く、そこにある文章を熟読していたはずなのに、急に、薄闇に何が書いてあるのかが読めなくなった。

そして。

「おい、ミオ?」

と、突然ミカの言葉が背後から聞こえ、肩を叩かれて、今現実世界に意識を戻したばかりの身体は訳も分からず恐れおののき、飛び上がる。

「ひゃあ!」

「なっ?!」

甲高い悲鳴とその場を反射的に飛び退るミオの奇行に驚いたらしいミカの姿が見えた気がした。

それは一瞬の事。

驚いたあまり跳ね上がった心臓と、宙に放り出した書物とが、完全に繋がって。

(あ、ダメだ、本が)

咄嗟にそれを受け止めようとそちらに勢い飛び出しかけたのと、危ない、というミカの声が交差して、ミオは傍の梯子に顔面から突撃した。

(いっ、痛……)

そこに梯子があったことすら予測していなかった動きでぶつかったため、激しい衝撃にめまいがして額の痛みによろよろとうずくまる。手にした本がどうなったかも気にかけられない程、痛みがあって。

「大丈夫か?!顔か?顔からいったのか?」

「だ、だ、だ、だい、だいじょ、だい」

一人なら、いたーい、と泣き言も言えるが、心配して傍らに跪いてのぞき込んでくるミカの手前、そうも言っていられない。大丈夫です、と言いたいところだが、ぶつけたところに手を当ててひたすら耐える。

全力で耐えているとミカともう一人がミオの傍でばたばたと動き回っているのが感じられた。大変だ、何か大事になりそうだ。

「大丈夫、大丈夫ですっ、ぶつけただけですっ、ダイジョブ、です、から」

「いいから見せろ、どこだ?あ、額か?切れてないか?血は?」

矢継ぎ早に訊ね、うずくまるミオの肩を掴み起こして、怪我の様子を見ようとする。思わず、痛い、と声が漏れたかもしれない。

(ミ、ミカさん、荒い…)

手荒なのは姉で慣れている。慣れてはいるが、荒い気性の姉とは違って、今はただ動転しているだけのミカの様子が分かって、ミオはぶつけた額をかばったまま顔を上げた。

衝撃は去って、痛みも少しずつ和らいでいく。

「大丈夫です、ほんとに、ぶつけただけです、もー痛くないです」

心配するあまりミオより血の気が引いてるのではないか、というミカを見て、何とか笑う事ができた。

「大丈夫ですよ」

「……」

「私ったら、昔から粗忽で…、あ、何度もぶつけたりしてて、だからあの、このくらい、大丈夫です」

それでも疑わし気にミオを見るミカの表情は晴れない。だから前髪を上げて、ぶつけたところを見せた。

「ほら、たんこぶにもなってないですし」

そういえば、ミカが怪訝そうな顔をする。

「…タンコブって何だ」

「えっ、たんこぶ、たんこぶって、えーと、ぶつけて腫れたりする…」

ああ、と理解した風な一言で前触れもなくミカは、ミオの額に触れた。

「いったーいっ」

「えっ、お前もう痛くないとか言ったじゃねーか!」

「痛いですっ、触られたら痛いですよっ」

「じゃあ大丈夫じゃねーだろっ」

「大丈夫だったんですっ、痛いけどっ、アッ、痛いのは触られたからでっ」

と、そんなやり取りを見て、おもむろにその場を立ち上がったのがもう一人。

そうだ、もう一人いたんだ、とミオはミカとそちらへ顔を上げた。

立ち上がった人物は、手にした梯子を遠くの棚にかけなおして、冷やすものを持ってまいりましょう、と言って頭を下げ、その場を離れる。

それをただ見やっていると、悪かったな、とミカが言った。

「えっ」

「驚かせた」

「あ、それは」

「額だけか?他には、どこかぶつけてないか」

そう聞かれて、ちょっと考える。体のどこにもぶつかった感覚はない。そういえばあの時、後ろから引っ張られた気がする、と思い、ミカがとっさに助けようとしてくれていたのか、と顔を上げた。

「大丈夫です、他にはどこも」

「お前の大丈夫は信用できねえ」

そう言われて、何も言えなくなった。言ったミカさえも、気まずい思いを抱えているように押し黙る。

外では日が傾き、天窓から差し込む光も乏しい空間で、二人、この空気をどうしようと途方にくれたところへ、「戻りました」という控えめな声と共に部屋の灯りがついた。

執事のアドル―がこちらへと歩みより、「立てますか?」と聞いてくるのに頷いて、ミオは立ち上がった。少しよろめいたのはびっくりして座り込んだまま硬直していたせい。だから大丈夫、と言おうとしてミカの目が気になる。

言葉に詰まれば、ソファーへ座る様に促されて、大人しく従う。ミカもついてきた。

「ほかにぶつけた様子はないようですね。…額も」

と言ったアドル―が冷たいタオルを渡してくれ。

「額もその程度で済んだのは、ぶつかった梯子が外れたからでしょう。衝撃がそちらに逃げた」

その言葉にミカも、続いてミオもそちらを見た。

「これが壁か本棚だったら、たんこぶ、になっていたかもしれませんが」

その程度で済んで良かった、と言われて、思わずゴメンナサイと漏らしていた。

「私は、良かった話をしているのだから、お嬢様が謝られる事ではありませんよ」

父と同じ年ごろだろうか、上質なスーツをまとった執事は穏やかにそう告げるけれど。

「あっ、私っ、本、本を」

急にそれを思い出してソファーから立ち上がるのを、ミカが身構える。お前なあ、と苦々しく注意され、ゴメンナサイ、ともう一度ソファーに座る。いや、座ってる場合では。と目でそれを探せば、アドル―が床に落ちた本を拾い上げ、それを見分するように手の中で確かめ、こちらへ戻ってくる。

「これが?」

「私、本を投げてしまって」

あの騒ぎの中で無事で済んだとは思えないが、とそれを受け取れば、表紙の一部の革に引っかき傷ができていた。そして開いたまま自重でページが折り重なったようになり、紙がよれているのが解る。

やってしまった、と血の気が引く。何も言葉が出てこない。本当に謝らなくてはならない時に出てこない自分の「ごめんなさい」は、「大丈夫」と同じようにミカに信用されない軽い物なのかもしれないと思うからだ。それじゃ何にもならない。

「私っ、べ、弁償を」

と言いかけたミオの背後から伸びた手が、本を奪う。あ、とそれを目で追えば、ミカが本の傷を検めている。

「なんだ、こんなものか」

と言ってそれをミオにではなく、アドル―に手渡す。

「え?あの」

「あとは、彼の仕事だ。任せておけばいい」

ミカがそういえば、本を受け取ったアドル―が頷く。

「もちろん、私の仕事です。私の本分は、司書であるのですからね」

司書、という、どこかで聞いた言葉に気を取られて固まっていると、アドル―が続けた。

「これが故意や悪意によってつけられたものなら当然、そうした行為に対する罰則は受けていただきますが、これは不可抗力であるという事」

「お前を驚かせたのは俺だしな」

とミカも付け加える。

「不可抗力で書物が傷む事は想定済みです。そのために、私は務めておるのです。書物の補修は私の本分、お嬢様はただ私が仕事をしているのだと思ってくださればよろしい」

それは誇りある言葉だと思えた。

そこに他人の介入を許さない、彼だけの領域があるのが解って、何も言えなくなる。

「そして、若様にとってはこの本よりもよほどお嬢様の方が心配である事は明白です。私共では治すことが出来ませんから、お嬢様に傷が残ってしまってはどうにもお詫びでは済まされないでしょう」

だから、と続けられる。

「お嬢様はまずその傷を癒すことです」

と、ミオが手にしているタオルでちゃんと傷を冷やせ、という手ぶりをしてみせて、慌ててミオがそれに倣うと、アドル―がにこりと笑顔を見せた。

ではこちらはお預かりしていきます、と言うアドル―にミカが頷いて、彼はそのまま部屋を出ていく。

それで、ミカが隣のソファーに座った。

「ちょっと、見せてみろ」

と言われて、ミオはタオルを外して前髪を上げて見せた。

「は、腫れてますか?」

「いや、赤くなってるけどな」

今から腫れるかもしれないから冷やしとけ、と言うミカに頷く。

痛いかと聞かれ、触ると痛いけれど冷やしてる今はあまり感覚がない、と答えればそれで納得したらしいミカも、ソファーに背を預けた。

再び沈黙が訪れ、先ほどの気まずい思いがぶり返し、たまらず口を開く。

「ご」

ごめんなさい、と言おうとして、思いとどまる。

「…お騒がせしました」

そう言えば、意外にも、ミカが笑った。

「まったくだ。どうしてあんなことになったのか、わけがわからねえ」

「は、い、私もです」

ミカが言う、どうしてあんなことに、が、どこからどこまでを指しているのかは分からなかったが、この一連を通して謝りたいと思うのはミオの本心だ。

「あのう」

と、言いかけたものの、どれをとっても謝罪は不要だといわれるのは今までのやりとりの中で解っていた。

なんだ、と返事をするミカもソファーに身を預けたまま動こうともしない。恐らくミオの謝罪の嵐が始まる事は解りきっていて、その態度なのだ。

謝罪は必要ないという執事の言葉。

ミカは本よりもミオの事を心配しているのだから。

「ご心配をおかけしまして」

「だから冷やしとけ」

「…はい」

いや、素っ気ない返しにへこんでいる場合ではない。言いたいことがあるなら言え、といつも言うのがミカだ。では聞いてもらおうではないか。

「それがですねっ」

と、声を張り上げれば、驚いたようにミカもソファーから身を起こす。真正面から向き合うような体勢になって頭に血が上る。

「大丈夫なのは、心配かけさせたくないからなんですよっ?本当に大丈夫って言ってもぜんぜん大丈夫じゃなくても、ミカさんは心配するじゃないですか、だから、えっとだから大丈夫って言うのは」

信用できない、と言われてしまうのは悲しい。

信用できなくなるくらい、ミオを心配してくれるミカだから、余計に心配をかけたくないのだ。

「これからも大丈夫って言う、のは、言うと思う、んですけど、それは大丈夫なので、心配して欲しい時にはちゃんと心配して欲しいですって言う事にするので」

「……」

「私が大丈夫、って言ったら、…安心して下さい」

信用しなくてもいいから安心して欲しい、というところに落ち着いて、あれ?なんか違うかな?という気がしてくる。

ミカからも何やら複雑そうな面持ちしか返ってこない。

「…えっとー、解ります、か」

いや無理だろう、と自問自答していると。

「解った」

とミカから返ってきて驚く。

「えっ」

「えっ、ってなんだよ、俺が解ったらオカシイのかよ」

「いえ、おかしいとかじゃなく」

「お前の言いたい事はわかった。俺も、過剰に心配するのをやめる」

「…は、い」

「昔とは違うってことだろ」

そう言われて、気持ちが明るくなった。

「はいっ」

そうか、自分はそういう事が言いたかったのか、という思いで胸がいっぱいになる。

何もできなかった昔。皆についていくだけで精一杯で足手まといにならないようにするだけで必死でとにかく大丈夫でいなくてはならなかったあの頃とは違う。

それをうまく説明できなくても、汲み取ってくれるミカがいる。

ミカもまた、あの頃とは違う視点と思考があるのだ、とやっと解ったような気がした。

「わ、解り合えるって素晴らしいですねっ」

気分が高揚して、何か言わなくては、と思って口にしたことだが。 

ミカは全くの平常心で返してきた。

「いや、別に解りあえたとは思っていないが」

「ええっ?」

「お前がそうしろ、って言うから」

 そう言われてしまっては何も言えない。そうか、これは解り合えたわけじゃないのか。じゃあ何をどうすれば解り合えたというのか、それをミカに突っ込んでいくのは自分では足りないような気がする。と、ミオが反応に困っているところへ、再び、アドル―が姿を見せた。

もうお帰りになられるという事とですが、と前置きして、ミカを見、ミオを見る。

「お茶のご用意をいたしますので中庭の方へお越しいただければと思ったのですが」

ミカの意志を尊重しつつ、今の騒動で二人が動揺しているだろう事、加えて到着時のミオの様子から察し帰りの馬車に乗るにも気をほぐしてからの方がいいのではないかと判断した事、等をアドル―に提案されてミカがミオを見る。

どうする?と問うてくる事に、ミオは二つのことが頭をよぎった。

父は、来客に必ず茶を振る舞う。そして、ミオもそうされたら有難くいただきなさいね、と言っていた事。

持て成す側は相手が喜んでくれることを願ってそうするのだから、持て成しに対する何よりのお礼はまず有難くいただく事だ、と小さい頃から聞かされていたのだ。

アドル―の細やかな気遣いを有難いと思い、それを伝えるにはやはりお茶をいただくのが良いだろう。

先ほどの騒動に対して「謝辞は必要ではない」という彼に、今日一日分のミオなりの思いを伝えるにはここしかないと思った。

「あの、お作法とか、よく解らないですけど、有難くいただきたいと思います」

 ウイやヒロがいればすべて任せておけば良い事も、今はそうではない。一人でどこまでやれるかは分からなかったが、勇気を振り絞るしかない。

そんなミオの面持ちを見て、アドル―は何もかも察したような笑顔を見せた。

「お嬢様の為の時間です。堅苦しいお作法など気にせず、お好きにくつろいでいただければ良いのです」

そう言ったアドル―に中庭まで案内され。

お茶と甘いお菓子が用意されたテーブルの前で「少々お待ちを」と言われ、二人で、彼が椅子を対面ではなく横並びに移動させるのを待った。

どうぞ、と促されるまま、ミオが席に着く。次いで主を椅子へと促すアドル―に「これは?」と、その意図を問うミカ。

ミカにとっても珍しいことなのか、とミオもアドル―を見る。

アドル―は、生徒に理解させる教師の様にミカに向き直った。

「どのようなお嬢様であっても、完璧な殿方の正面に向き合わされるのは非常に緊張を強いられる事でしょう。若様もこれからあらゆるお嬢様を持て成される時にはどうぞ、隣に寄り添う、という選択肢もあるという事を覚えておかれるとよろしいかと存じまして」

なるほど、と短くミカが返事をすれば、それ以上は何も言わず簡単な給仕を終えて、ではごゆっくりどうぞ、とアドル―が頭を下げる。慌ててミオも頭を下げると、執事は柔らかく微笑んでその場を離れた。

隣に寄り添うように、とアドル―に勧められたまま、ミオはミカと二人きりで中庭で過ごすことになったけれど。

この席の配置だと、隣に座るミカが視界にいない。ミカの様子を伺おうとすれば、自分で動くしかない。

「えっと」

と、恐る恐る横を見れば、ミカはもう紅茶のカップに手をのばしくつろいでいた。

ミカはこの状況が全く気にならないようだ。

「なんだ?」

「いえ」

じゃあ自分も、と紅茶のカップを見て、テーブルを見て、あることに気づく。

「…あの、ミカさんはお茶にお砂糖入れないんですね」

とミカを見れば、何をいまさら、というようにミカもミオを見る。

甘い物が嫌いだ、というミカの事はもう良く解っている。そうではなくて、と慌てて付け加える。

「ミカさんのお家では、皆さんそうなのかな、って思って」

「…紅茶は熱と香りを楽しむものだろ。そこにミルク入れたり砂糖入れたりして香りを台無しにしてる事の意味が解らないな」

「あ、香り…、お茶って香りを楽しむものだったんですかっ」

「はあ?じゃあお前何の為に紅茶飲んでんだよ?」

「あ、お茶は甘くておいしいな、って」

「甘いなら、それこそ菓子で十分だろ」

というミカの言葉に、テーブルに用意されたお菓子の皿を見る。可愛らしい見た目の菓子は、クリームや蜂蜜、糖衣やチョコレートがふんだんに使われていて、どれもこれも甘くて美味しそうなのは一目瞭然。

それらとミカの言葉で、ミオはようやく、こちらでは甘いお菓子を味わい、その甘さでお茶を飲むのだ、と気づいた。

 「ああっ、だからこっちのお菓子ってみんなすごく甘いんですねっ」

と言えばミカにまた、何を言ってるんだ、という目で見られる。

「あの、私の村のお菓子はみんな焼き菓子で、生菓子とかこっちに来て初めてだったので」

ヒロやウイと一緒に行動するようになって初めて、甘くて美味しい生菓子を食べたくらいだ。

 それはとても感動したのだけれど。

「私の村では、おやつには甘いお茶とちょっと塩味の効いたビスケットやクッキーです」

お客様が来た時はケーキを焼いたりもするけど、木の実や果物を入れるくらいで甘さはそんなに重視しない。

「昔は、下の村は職人さんが多かったので、お昼ご飯がなくて、代わりに10時と2時におやつ」

甘いお茶で疲労回復、塩分の菓子でやる気の補充。

その名残だ。

「ああ、だからお前紅茶に砂糖入れるのか」

「はい、それが当たり前だと思ってまして」

と、そんな話をしていて、ミカに「じゃあ砂糖を用意させるか」と言われて、慌てて首を振る。

「いえっ、せっかくなので、ちゃんと香りを楽しむ飲み方を覚えたいですっ」

「…そういうものか」

そうだ。今までお茶の香りなんて気にしなかった。言われてみれば、このお茶はいい香りがする。

そう言えば、俺の一番好きな茶葉だ、とミカが言った。

「一番…」

「お前たちと会う前は、一人になりたい時によくここに来ていた。だからここではこの茶が出る」

他の香りが知りたいなら色々選んで買ってみるのが良い、と言われて感心する。

そして、一人になりたい時、という言葉に、あの執事の姿を思い浮かべた。

今の状況から考えても、お屋敷にいる人たちよりはミカを自由にさせてくれる人なのだ、と思える。

ミカに対する態度もだが、ミオに接してくれる態度もずいぶんと柔らかい。

そして場面場面で戸惑うミオに、今どう振る舞うのが良いのか、という事を示してくれていた気がする。 

あの部屋でミカと二人気まずい思いを抱えて途方に暮れたことを思えば、今、隣どうしで他愛ないお喋りをしながらお茶を飲んでいる時間はとても穏やかだ。

こんな時間を用意してくれた事が有難い。

たくさんの感謝を、言葉では伝えきれない心を、どうすれば彼に伝えられるだろう。

「今日は、本当にお世話になりました。有難うございました」

帰り際。

迎えの馬車の前まで見送りに出てくれたアドル―にありきたりの言葉でしか挨拶できないのがもどかしい。

「お茶もごちそうさまでした。お菓子もとっても美味しかったです」

それからそれから、と伝えなければならない事は思いばかりが溢れてくるけれど。

それは良うございました、と言ったアドル―が馬車へと二人を促す。

そして。

「またお越しください。我らは、主の大切なお客様へ最上の居心地を提供することが務めです。お嬢様に、再び訪れたいと思って頂けたならそれこそが至福でありますし、実際訪れていただいたならそれこそが何よりもの褒賞でございますので」

そう言ったアドルーには、ミオの考えていることは見通されているような気がした。

おもてなしを受けなさいと父から教わったように、彼からも、貴人の客としての返礼の仕方を教わっているのかもしれない。

「はい、ぜひ、その機会に恵まれたいと思いますっ」

そういえば、アドル―は一瞬、笑いたいような顔を伏せて、お待ちしております、と頭を下げた。

しまった。また動揺して変な事を口走ってしまった。恥ずかしくて顔が上げられないでいると、もういいから乗れ、とミカに強引に馬車に連れ込まれた。

(スミマセン、なんかもう本当にすみませんでしたー!!)

慣れない馬車の中で自己嫌悪に苛まれながら、窓の向こうに遠くなる屋敷が夕日で陰になりつつあった。

次に訪れる時には、もっと彼に認められるような振る舞いが出来るようになっていたいと切実に思う。

思いながら、これがヒロの言っていた事なのかとようやく理解できた。

皆といる時には解らなかったこと、誰かの陰に隠れていれば目立たなかった思い。

ミカの隣に並んで立って、それを相応しいと誰もに認められる人間になるという目標は、今なら痛いほど解る。

(だから、…それが解っただけでも、一人で来て良かった)

良かったと思おう。

たくさん迷惑をかけて、たくさん心配させて、たくさんお世話になったけれど。

解ったことが、たくさんある。

「お前、こっち座れ」

と、馬車の中で強引にミカの隣に座らされ、行きとは違う緊張感に身を固くしながらひたすら到着までの時間を耐え忍ぶ。

(ミカさん…あれは、外のお庭で別々の椅子だったから良かったのであって、ですね…)

と言いたくても言えない。

狭い馬車の密着した座席でがたごとと揺られながらミオは身をもって解らされている。

ミカは本当に言われた事は忠実にやらないと気が済まない人間だということを。

寄り添う隣、ミカの隣で優雅にふるまえるのはまだまだ遠い先の事だと思い知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミカのマニュアル人間ぶりったらもう


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